3.11から6年の月日が流れる

3.11から6年の月日が流れる

2011年3月11日 午後2時46分

2011年3月11日 午後2時46分 東北地方
その時、私は仕事をしていました。

思い出すのは、辺りから鳴り響く緊急地震速報からです。
当時は、あまり聞きなれないものだったので、
何がおきた?と頭にハテナがでていました。
その、数秒後ただならぬ揺れが私たちを襲いました。
三陸はるか沖地震を経験していたので、
大きさには多少の慣れがあったと思います。
しかし、大きさもさることながら、時間が異常に長く、
地球が壊れてしまうのかとすら考えました。

会社の外へ避難すると、周りの建物が見たこともない揺れ方をしていました。
駐車場の車も、前後にゆれていたのを覚えています。

停電になったので、情報収集の為、
ガラケーのテレビを一人の社員が見だしました。
とても緊迫感がある映像が流れ、時折、緊急地震速報の不快な音が流れていました。

地震から一時間後、やっと帰宅指示がありました。
すぐに帰れたらよかったのですが、一時間のラグがあったため道路は混雑していました。
早く家の様子を確認したかったので、回り道をし、海側のすいている道から帰宅を選択しました。
すいている道を選択してよかったと、そのときは思いましたが、
その数十分後、そこにも津波はきていました。
今考えるとゾッとしますね。

帰宅途中の車で、テレビで状況を確認すると、
ただならぬ災害だと感じ、空いているコンビニを見つけ、カップめんや水を買いに行きました。
停電の為、レジは無く、商品もほぼない状態でした。

そして、帰宅。
当然、部屋はすごいことになっていました。
テレビは、半壊。本棚は全て倒れ、床に本が散乱。
香水が、割れていて匂いも充満していました。
必要最低限で片づけをし、万が一のため、貴重品をまとめ車に積み込みました。

2011年3月11日 夜

停電は復旧せず、ろうそくとライトでの生活。
電気が無い生活が、こんなに不便なのかと感じました。
そして、しきりに襲う余震。不安はつのるばかりでした。

家族は、家の中で寝ることにしましたが、私だけは車の中で寝ていました。
数時間おきに、エンジンをかけテレビで情報収集するためです。
そのエンジンをかけたときに、一緒に携帯の充電もしていました。
テレビをつけるたび、この地震の壮絶さを目の当たりにしていました。

2011年3月12日 朝

余震はおさまることを知らず、朝になっても立て続けに揺れていました。
停電はまだ復旧しておらず、パンやお菓子を食事としていました。
ガソリンも無駄にできないので、近くのコンビニ等をまわってみましたが、
どこもやっておらず、この状況がいつまで続くのか不安になりました。

この日、出勤日だったのですが、
電話はつながらず、停電とガソリンも少なかったので会社を無断欠勤しました。
後から聞いたのですが、こんな状況でも出社してた人は結構いたようで。
日本人ってまじめだなあと、あらためて思いました。

2011年3月12日 夜

停電が復旧。
電気のありがたさを、本当にわからされました。
制限なくテレビが見れるようになって知ったのは、
津波での大きな被害、原子力発電所の爆発等でした。

3.11を踏まえての心構え、日ごろの準備

あまり長々と書いても、あれなので、この経験を踏まえて、
あらためて日々注意しておかなければいけないことをまとめました。

・ライトやライターやろうそくといった明りになるものを決まった場所に置いておく。
・非常食を日ごろから準備しておく(水・カンパン等)
・現金を数万円、家に置いておく。
・ラジオを準備する。電池も。
・携帯電話のモバイルバッテリーを用意する。
・普段から、総合風邪薬を切らさないようにする。
・ティッシュやウェットティッシュやトイレットペーパーのストックをしておく。
・ガソリンはできるだけ、ぎりぎりにしない。
・万が一の時、集まる場所を決めて置く。
・津波が近い地域ならば、海に近い道路は通らない。
・仕事より、命を優先する。

地震を契機に、非常食等準備したかたもいると思います。
準備してから、しばらくほったらかしではないですか?
いま一度、賞味期限や、正常に動作するか等、この機会にチェックしてみてはいかがでしょうか?

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